あらたの保育園で知り合ったお母さんが美術館に行ったと教えてくれた。
もしわたしが行ったらどんなことを思うのか聞きたい、と声をかけてくれた。
普段から美術館に行く人でもないことを知り「平成美術」に行ったと聞いて驚いた。
誰でも入りやすい展示とは思えない。
人にすすめられて美術館に行ってみようと思うのはとても久しぶりで嬉しかった。
美術評論家の椹木野衣が、平成の美術を振り返るという趣旨の展示だった。
あらたと一緒に行ったので、全然ゆっくり見れないし、全くみれていない作品もあるけれど、それでも久々の美術館は刺激的だった。
まず印象に残ったのは「絵画がほとんどない」ということだった。
絵画や彫刻といった、いわゆる伝統的な分野の作品が非常にすくない。
それは、平成の美術の「容貌」を、「複数の美術家たちによる「密」な集合的活動の集積として捉え」た椹木野衣の切り口が大きく作用しているんだろうとは思う。
けれど、やっぱり絵画や彫刻の時代ではなかったんだなと改めて思う。
わたしも平成に学生だったときは、ほとんど真面目に絵は描かなかった。
作品の展示というよりは、活動の展示という趣の展示だった。
活動そのものはダイレクトに展示できないから、資料展示的なところもあった。
作品そのものよりも、その舞台裏に迫っているという印象といった方が近いかもしれない。
だからちょっと作品に対しては引いて見てしまう部分があって、それは平成を振り返るというテーマに対して意図通りなんだと思う。
それでも作品は展示されているので、個々の印象はそれなりに残ってくる。
椹木野衣が平成を災害や事件、事故や経済の危機とともに捉えようとしていることは『年表「平成の壁」』という展示によって露骨に示されているし、集められた作品もなんらかの形でそれに関係がある。
美術館をでたときに明るい気分にはならなかった。
なんらかの出来事を扱った作品のその出来事にちょっと気持ちを捕まれているような気分があった。
その気分自体について考えている。
展覧会を見て、しばらくして自分の絵はどんな気分にさせるのだろうかと思った。
原発を扱っている。イメージはだいたい固まっている。
こんな風に思ってくれたらというのも一応ある。
まだ出来上がっていない。
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