お隣のおばちゃんが亡くなった。
昨日葬儀が終わった。
家族葬で、いわゆる式の時には行かなかったが、家でのお葬式だったのでその間は毎日顔を見ることができた。
この1年は病院と施設暮らしだったためほとんど会えなかったけど、3日ほど近くにいてくれて嬉しかった。
大好きな自慢のおばちゃんだったので、知り合いには随分自慢したと思う。
一応、注釈しておくと、おばちゃんといっても自分の祖母くらいで、おばあちゃんといってもいいような年だ。
死んでしまって悲しいのだが、居なくなった気分にはならなくて、おばちゃんが居たときに感じていた楽しい気分をまだまだ感じている。希望のような人で、人生にはこんな楽しさもあるのか、こんなこともあるのかということを特段なんの変哲もない日常の中に埋め込んでいった人だ。
なんの奇跡もなしに、なんの突飛さもなしに、ただ普通の人はやらないようなことで少しだけ踏み込んでくる。
それも、本人にとっては確信的だから、別に無理してるわけでもなんでもない。
状況だけ取り上げてしまうとちょっとギョッとするようなこともやるが、嫌だと思ったことはなかった。
そんな人とたまたま隣人になれた。
おばちゃんの隣に住むことを望んでここに来たわけではないが、気づいたらものすごい幸運に恵まれた気分になっていた。幸せだと思った。
あんまりわたしは理想の人はいなかったが、この人はある種理想だ、こういう人になりたいと思うところがある。幸せや、楽しさ、面白さを考えるときにどうしてもその人の感じがよぎる。そういう気分になってしまうところが、死んで居なくなってしまったと思えないこととつながっているように思う。
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