防衛せずに生きているときっといいことがある。

2020年9月29日火曜日

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 第0.5回まるネコ堂芸術祭の開催が近づいてきた。

以前は、自分さえできればいいと思っていた。
自分ができればいいと思っていた。

年齢のせいも多少はあるかもしれないけど、そういうふうには思わなくなった。年齢のせいようりも多分まるネコ堂に住んでいるということの影響の方が大きいだろう。

自分に限らず誰かがなにかができる場所とか、誰かがなにかができるようになるとはどういうことかとか、そういうことを考えるようになった。今年に入ってからはかなり意識的に考えている。

自分のやりたいことをやっている人を見たり、その人の文章を読んだり作品を見たりすると、なんだかやる気が出てしまう。悔しさみたいなものが交じることもある。

前は、そういう悔しさを感じたくなくて防衛していたところがあった。防衛のやり方はいろいろある。悔しくならないように逃げる。これままあそんなに悪くない。他人に悪いことをするわけではないから。本人は防衛のつもりの攻撃だってある。好きなことをやっている人がそれをやりにくくなるような質問をわざとするとか。たちが悪い。

今も自戒することがないわけではない。かなり後悔する。反省する。


防衛しないということを心細く感じるのは、今まで防衛してきたからだろう。誰かが真剣に言った、書いた、表現したことを8割で5割で聞き読みしていたとしたら、10割にするのはこたえる。自分のなにかを変えてしまうことだってあるからだ。他の人から自分を守るだけでない。自分が防衛せずに意見を言うことが、防衛せずに生きることもかなり心細いことだし、重要で致命的なことではないかと思いはじめた。それは楽しく生きることや、誰かと楽しく生きることに関係しているように思う。心細さでひるむこともあるけれど、あのときちゃんと言っていればもっといいことが起こったと確かに思うことがある。失敗しながらも一つ一つ確かめていきたい。