「没後50年 鏑木清方展」、すっきりとごちゃごちゃ。

2022年6月23日木曜日

美術館・展示



京都国立近代美術館の「没後50年 鏑木清方(かぶらききよかた)展」に行ってきた。

鑑賞中の会話の制限が結構きついように思い残念だったのだけど、そのことは、下記ブログ記事に書いたのでよかったら見てみてください。



今回はちょっと絵について書いてみたいと思います。

「美人画」がちょっとわかってきた

「美人画」とか日本の絵画全般に、実はもともとの興味は低かった。でも上村松園をはじめ、この何年かでいろいろ見てきて、「美人画」と言えば「肌の美しさ」「ラインの美しさ」が象徴しているように思えてきた。

西洋絵画でも、わざとシワを描かないといった表現というのはあるけれど、そもそもの絵画の根底にグラデーションへのこだわりや本物らしさへのこだわりがあるので、その辺をつっきっていくのもある種限界があるように思える。

「美人画」とか、日本の絵画の場合はその制約はないので(違った制約はあるけれど)、シワを描かないというレベルに収まらず、肌の色は単一になり、透明感を出すという「とりあえず肌が美しいある方向性としての限界」まで行っている感じがある。「美人」と言ったときの「美」の感じの一つはどこまでも瑕疵を避けた肌の美しさにある。

肌というとすごく表面上のものだというイメージが自分にもあったけれど、最近思うようになったのは、内臓も含め健康でないと美しい肌にはならないわけで、美しい肌というのは象徴的に内面までもしめしている。

そして、付随して面白いなと思うのはシワを一切描かずに年齢なども表すということ。わかりやすいのは、今回の目玉の《築地明石町》《新富町》 《浜町河岸》の三部作のそれぞれの「美人」から肌の感じの違いはあまりないように思えるが、明らかに年齢や立場の違いを感じる。「美人画」では肌ではなく姿勢や着物、顔のこまかい形、タイトルの地名などがその差異を暗示しているように思う。

着物がガツンと象徴しているはずのもの

着物が多くを伝えるということを初めて意識したのは谷崎潤一郎の「細雪」を読んだ時だったと思う。谷崎は本当にしつこく着物の柄などを描写する。着物のことをしらないので正直読んでいてイメージも湧かず疲れる。もうえええわ、と思うけど、「どんな着物を着ているのか」あるいは「どんなものを身につけているのか」ということがある人の内面や身体の直接の描写よりもその人のことを伝えることがある、ということを知った。

残念ながらやっぱり私には清方の絵を見て、「ああこういう感じの人か」とヒットするほどの着物や当時の風俗の知識がない。逆に、清方をはじめ着物の絵を見ることによって「着物」の柄と人柄というイメージをつかんでいく最初の場になっていく。

すっきりとごちゃごちゃ

いわゆる「美人画」っぽい絵は、すっきりと描かれる。例えば一人の中心人物と主張を抑えた背景。

しかし、そういった絵と同時に清方はお店の軒先など商品がごちゃごちゃあるようなごちゃごちゃの絵もたくさん描いていたようだ。

今回の展示の目玉は三部作の「美人画」。一応すっきり系。
あまり鏑木清方を知らないで展示にいったのでこれらの印象が大きかったけれど意外に町のごちゃごちゃした絵が多いことに驚き、きっとこのごちゃごちゃが好きだったんだろうと思った。

全体を見ておもったのは、時代や風俗を表したかった鏑木清方にとって「美人画」を「美人画らしく」、例えば人と、着物と、定番の持ち物(扇子や火鉢など)とだけ描いてもなんか表しきれてないという気分があったんではないかということ。

店先のごちゃごちゃとか、家にある雑多な道具とか、道に生えていた草とか、そういうものも描かないと清方にとっての「なにか」を描いた気にならない。ごちゃごちゃがなんとなく美人画にも侵入してくる。

三部作の背景はなんだかちょっと変な感じだと思った。明らかにトーンを抑えてあるけれど、枯れかけ朝顔だったり、芝居小屋(?)が描かれている。ここまでトーンを落とすと逆に変な感じで、この手の美人画の背景には通常描き入れない類の背景をなんとか描き入れて広い意味で当時の風俗の描写を成立させようという意図があるんじゃないかと思えた。

風俗だけどなんだか幽霊

明治の東京生まれで昭和期まで制作を続けている清方。昭和期になってからも明治の東京を題材とした絵を描いている。めちゃくちゃざっくり言ってしまうと「明治東京の暮らし」を描いた絵だ。当時から人気だったらしいから、おそらく清方の絵は明治の東京を知る人にとって頭の中の懐かしい「あの光景」がヒットしてくる絵だったと思える。見ることによってありありと思い出せる。

風俗、暮らしを描いているということはそうだと思えるが、ちょっと清方の絵は足のある幽霊を見ている気分にもなって不思議だ。風俗・暮らしのあり方を「残したい」「伝えたい」という思いだけなら、絵としてもっと確固たる印象を与えてもいいはずなのに。

そういうことは「小説」を絵にするのが好きだったこととも関係があるのかもしれない。
別に清方は本当の記録をしたかったわけではない。明治の東京に実際に生活した清方自身の幻想としての風景を絵にした。

小説が明治を舞台にしていれば、私たちは明治のある種の雰囲気をつかむだろう。でも、別に本当にあった記録の話だとは必然的には思わない。「風俗」という名詞によって私は「再現」ということを一定印象づけられたように思うけれど、当然そういうだけの話ではない。そんなことをくどくど言わなくてもという感じかもしれないけど、清方の絵は彼の幻想(イメージ)としての東京の風俗を収めているというように思えた。



もうちょっとうまく言えるといいのだけどと思いつつですが。長くもなってしまいました。
また、展示に行ったらなにか書きたいと思います。