【授乳】母乳をあげなくともいいとわかると、あげたいと思っていたことがよくわかる。

2018年10月27日土曜日

子どもとの生活

妊娠中は子どもと母親とにはほとんど絶対的なつながりがある。引き離しようがない。

生まれた瞬間にこの絶対的なつながりは消え去っていく。子どもに対して生んだ人としての母親という関係性は確かにそうなのだけど、そういうふうに決められた名称があるだけで生まれた赤ちゃんとそれまでのような絶対的なつながりはもうない。

母乳というのは母と子のつながりの必然性を一見示すようだけど、他の人の母乳でもいいわけで、そんなものがなくてもミルクでも育つ。産んだ母親が子どもの月齢に合わせて出す母乳というものはおそらくよいのだろうとは思うけれど。

そこまで考えてしまうと母親だからやらざるをえない、というようなことは何一つない。

親子の関係とか家族の関係があるといろんなことが必然に見えてしまっている気がする。
実際やってみると生まれたての子どもと絆とかつながりみたいなのはまるっきりなくて、この新しい人とどうやって関わろうかと、最初は話しかける口調さえ考えつつだった。

多分母親だからこういうことはやらなきゃなんてことを、多少なりとも考えていた。そういう考えは自分がやりたいかとか、やったらいいと思うか、という精査を通過せずに、やらなきゃという形で現れるからやっかいだ。そして、なんか大変な気分になり、「母親はたいへんなんだから、誰かに(といってもそれは大概隆だけど)これくらいはやってほしい」という形でヘタすれば八つ当たりになる。

自分にとってはその一つが母乳で、やらなきゃという感じがあったと思う。思ったより授乳時間も長いし、飲んでも飲んでも欲しがるので疲れて、その中でやらなきゃという感じに突入してしまったのかもしれない。でも、やらなくてもいいと思っても、それなりにやりたいのだというのが自分の意思だとわかったので、やりやすくなってきたし、ミルクもあわせて調度良くできていく気がする。