昨日のまるネコ堂ブログのエントリーは「【637】主催とはなにか。死者ができる仕事。」。ここで名前が出てくる言葉の表出、春合宿2020の主催を今日からわたしはしている。
ちょっと触発されてなんとなく主催についてなにか書きたくなった。
主催はもう何年も何回もやってきたけれど、大きく主催観が変わったのは去年の11月だった。じぶんの文章を書くための通年講座の最後の合宿中だった。この講座はわたしは参加者だったが、自分が住んでいるまるネコ堂でやっているということはなにかしらの影響があった。
合宿初日。講師も主催も連絡がとれない状況で、他の参加者からmessengerのグループに質問が入った。大したことのない質問だったが、どうしたら・・・と思った。早めに答えるほうがよさそうだった。会場のことも、文章を書く合宿というものも大体のことはわかっているけど、なにか間違ったことを言ったらどうしようとか、そもそも答える責任がないとか、なんで講師も主催も連絡とれないときにーとかやっかんだりしてしばらく考えた末、自分が考えられる範囲でよいと思えることを書いて送った。
そういうことを考えているうちに、これは本当にその時は神がかりになった、とかなにかが降りてきたとか、そういう感覚でしか言い表せられない感覚だったのだけど、これで大丈夫だという感覚におそわれた。だから返信ができた。
言語化できないので、そうとして言えないものだったけど、少し時間をおいてぽつぽつと言語化している。
合宿中、今までの自分にはなかったタフさで過ごしたと思う。楽しかったし、充実したけど、そのことは自分に慣れない負担を強いたようで、合宿終盤で吐いた。
そのときこれで大丈夫だと思えたことは、本当に普通のことだと思う。全体がよくなるように自分ができることをやろうとか、なにかよいこと・楽しいことのためにだれも頼んだわけでもない責任を自分で勝手に負ってみようとか。
その日くらいから徐々に自分が手の届く時間感覚も世界の広さも変わっていった。
地球全体の幸せな未来とか、幸せな人々とか、そういうことが思考の中にどんどん入ってくるようになった。視野が、視界が広がった。
もしかしたらこういうふうに考えられることを大人になると言うのかもしれないと思う。だとしたら去年の11月までわたしは子どもだったわけで、とても恥ずかしい。
大人になるということはとても楽しいことで、新しい世界だ。
責任ばっかりで、やらなきゃならないことばっかりで、子どもが羨ましい、なんてことを聞いたことが何度もあるけれど、そんなことは自分にはなかった。今のところない。
確かに責任はあり、考えれば考えるほどそれは大きくなりうるけれど、面白い世界のためになにかやりたいと思うことは全然わるいことではない。
ダイレクトには書けなかったけど、こんなことを考えるようになったのは自分がどう主催を捉えているかに大きく影響している。
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■ 大谷美緒の催し&お知らせ ■
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○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/01/2020_28.html
2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。
ちょっと触発されてなんとなく主催についてなにか書きたくなった。
主催はもう何年も何回もやってきたけれど、大きく主催観が変わったのは去年の11月だった。じぶんの文章を書くための通年講座の最後の合宿中だった。この講座はわたしは参加者だったが、自分が住んでいるまるネコ堂でやっているということはなにかしらの影響があった。
合宿初日。講師も主催も連絡がとれない状況で、他の参加者からmessengerのグループに質問が入った。大したことのない質問だったが、どうしたら・・・と思った。早めに答えるほうがよさそうだった。会場のことも、文章を書く合宿というものも大体のことはわかっているけど、なにか間違ったことを言ったらどうしようとか、そもそも答える責任がないとか、なんで講師も主催も連絡とれないときにーとかやっかんだりしてしばらく考えた末、自分が考えられる範囲でよいと思えることを書いて送った。
そういうことを考えているうちに、これは本当にその時は神がかりになった、とかなにかが降りてきたとか、そういう感覚でしか言い表せられない感覚だったのだけど、これで大丈夫だという感覚におそわれた。だから返信ができた。
言語化できないので、そうとして言えないものだったけど、少し時間をおいてぽつぽつと言語化している。
合宿中、今までの自分にはなかったタフさで過ごしたと思う。楽しかったし、充実したけど、そのことは自分に慣れない負担を強いたようで、合宿終盤で吐いた。
そのときこれで大丈夫だと思えたことは、本当に普通のことだと思う。全体がよくなるように自分ができることをやろうとか、なにかよいこと・楽しいことのためにだれも頼んだわけでもない責任を自分で勝手に負ってみようとか。
その日くらいから徐々に自分が手の届く時間感覚も世界の広さも変わっていった。
地球全体の幸せな未来とか、幸せな人々とか、そういうことが思考の中にどんどん入ってくるようになった。視野が、視界が広がった。
もしかしたらこういうふうに考えられることを大人になると言うのかもしれないと思う。だとしたら去年の11月までわたしは子どもだったわけで、とても恥ずかしい。
大人になるということはとても楽しいことで、新しい世界だ。
責任ばっかりで、やらなきゃならないことばっかりで、子どもが羨ましい、なんてことを聞いたことが何度もあるけれど、そんなことは自分にはなかった。今のところない。
確かに責任はあり、考えれば考えるほどそれは大きくなりうるけれど、面白い世界のためになにかやりたいと思うことは全然わるいことではない。
ダイレクトには書けなかったけど、こんなことを考えるようになったのは自分がどう主催を捉えているかに大きく影響している。
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○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/01/2020_28.html
2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。