「期待と不安は同じ成分でできている」

2015年2月18日水曜日

未分類

ものが少ないところで何が起こるかはわからない。
円坐を恐れていたことは前に書いたとおりで、そして一転して今は円坐を楽しみにしている。詳しい経緯は省略するけど、2泊3日の円坐に参加することにした。

楽しみだ。でも、理由はわからない。

「期待と不安は同じ成分でできている」というのは、昔まだ出会う前にパートナーが書いた文章のタイトル。この文章が好きで時々思い出す。そして、こういう一節がある。
期待と不安は全く同じものでこころの揺れる方向が違うだけ。未だ見ぬモノを受け入れることは様々な力を必要とします。
不安=恐れと読んでみる。今回、恐れが見えた途端、同じ円坐を見る見え方が期待に一転した。しかし、以前から同じ思いを円坐に向けていたんだろう。それを恐れの心で跳ね飛ばしてしまうのではなく、それを受け入れる「様々な力」が今はあるように思う。網野善彦の言葉を借りれば「その姿を直視する勇気」なのだろう。

「未だ見ぬモノ」はゼミやこないだ参加したテレビを「持たない人」のダイアログサークルでも現れた。終わるころには「まさかこんな話になるとは」と口をつく。そんな経験を何度もした。

円坐が楽しみだ。でも、理由はわからない。特定のこれが楽しみだとは言いがたい。強いて言えば、そこで何が起こるかわからない、何を思うかわからない。そのことが楽しみだ。