話すことはできないけれど、態度と思っていることが 一致しているんだろう、と彼らを見ていると思う。 |
先の投稿『できる「こと」の小ささ。』を書いていて、いろいろ考えていたけれど全部書けずで、その記事の写真のキャプションにその断片だけが残ってしまった。
隠せることなんてなくてすべてだだ漏れている。
バンジョーの友人でいえば、バンジョーを奏でてその場を穏やかな雰囲気にしたいということが全身からだだ漏れていた。だからその場はそれを感じて穏やかになった。
私は特技ができることを褒めて欲ししい気持ちがだだ漏れていた。でも、たんに褒めることに興味がある人なんてなかなかいないからそれは起こらなかった。それに「褒めてほしいからやります」と言っていなかった。
隠している気持ちは隠しているからばれないと思っていた。そんなことはありえない全部だだ漏れている。本当の自分を見せるのは怖いから隠してみたりもしたけれど、他人に見えているのは本当の自分でしかなかった。そういう衝撃的事実を自分に突きつけてしまった。
疲れ果てたあと、楽になったのは、そう思うと全くもって何も隠す必要がないということだった。
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