手縫いの確かさが好き。 |
私がやることには手縫いが多い。
CARAPACEのリュックに手縫いの箇所がそこそこあるし、ジーンズ刺し子ワークショップの副題は「お気に入りのジーンズを手縫いで繕う」だ。年末にはなっちゃんと手縫いで甚平を作った。
手縫いと聞いて対比されるのがミシン。
「手縫いは丈夫だ」
「ミシンはしっかり縫える」
「ミシンは早い」
「手縫いだとミシンを買わなくてもできる」
「手縫いだと修理しやすい、容易に解くことができる」
どうしてもそんな利点・便利さといった観点からミシンとの差異といて手縫い説明してきた。そういうことはもちろんある。そして、最近更に思ったのは手縫いをすることで見える景色を楽しんでいるということ。
手縫いはやっぱり本当にゆっくりで、またもやミシンと比較してしまうけれど、電車に乗るか歩いて行くかくらいの違いがあるように思う。そのゆっくりだから見える景色を楽しんでいる。
手縫いといっても、革では2本の針を使ってぬったり、他でも様々な針や縫い方があるので縫うということの原理がわかってくる感じがある。
縫われている布のことをじっと触っている。特に修理の場合は、既に布が均一ではなくて「ここはよくすり減るのか。この布はこんな感じに変化するのか」と眺めている。
言葉にしてしまうと非常に陳腐だ。目の前で起こっていることに、なんでこうなってるんだと考えながら歩き続けている。
とはいっても大抵の時間が単調で、ときたま気になるものがふっと出てくる。
もちろん手縫いだけに景色があるわけではなく、ミシンにも景色がある。ミシンを整備すること、縫うことの全体性。
今は手縫いの景色を注意深く眺めている。
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