吹田のいろんな小学校から各学年一人くらいを選んで作文・詩集を作っていたようだった。小学校のときの文章は自分ではこれしか持っていない。厚みが2センチほどもある冊子に、自分の文章は半ページもない。それなのに、ワープロで打ちなおしてもらって、冊子にしてもらったのが嬉しくて今まで持っていたんだろう。
「すずめ」と題された作文は、父親が落ちてたすずめを拾ってきて、弟に踏まれて死ぬまでを綴っている。あまりの展開の早さに久々に読んだ私は「なんじゃこりゃ」と思わず声にした。末尾に当時の担任の先生の名前<田原 益子>とコメントが載っいて、田原先生と作文というともうひとつ思い出すことがあった。
餅つきの行事のあと作文を書くように言われ、全くなにも書けなかった。クラスメートが次々と堤出していく中、少し書いて消して。書きたいと思えることが何も出てこずとうとう名前と題だけ書いて出す決心をした。「おこられるで」とか言われながら、長机の上に提出した。
みんなの作文が返却される日に、同じように私のも返ってきて、やまねさんは何を思ったんだろう?、という感じの短いコメントが書いてあり、そのコメントを読んだときの感情が思い出せない。
コメントを読んで「ほっとした」と書こうとして、本当にそう思ったのかわからない。そのときの感情を今の私がここに書いて定着させるのが怖くなってしまった。
今となっては、「ワープロで打ちなおしてもらって、冊子にしてもらったのが嬉しくて」持っていたというのもほんまかいなと思い始めていて、あれあれなんでブログを書こうとしてたんだっけと考えなおしてみると、田原先生の行動で「ほっとした」ことを書きたかったけど、書いているうちにそこが揺らいでしまったのだった。
====
追記
「ほっとした」かどうかはわからないけど、
このエピーソードを思い出したときによい感情になるのは確か。
0 件のコメント:
コメントを投稿