焼かれるより埋められたい。

2015年5月31日日曜日

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ここに来るとちょっと田舎に来た気分になる。

萬福寺のお墓の前の道が好きで時々行く。
外から墓石が見えないからお墓っぽくないけど、入ったら普通のお墓。

死んだらお墓に入るんだろうか。
うちの両親はふたりともお墓に入りたいとは思わないらしくお墓はない。私も入って欲しいとは思わないのでそれでいい。私も入りたいというのはないけれど、入りたくないというのはあるのかなと考えると、少しそんな感じがする。

去年実家の犬が死んだ。市の施設で焼いてもらおうという話を聞いていたにもかかわらず、実際父親が引取のお願いに市役所に電話すると、まだ私はそのことに納得できてないと気づき、電話の途中で保留にしてもらった。

集団で焼くのが嫌なのだろうか、と個別火葬の葬儀屋を探したりした。ひと通り検索して、お願いしたいと思えなかった。だんだん、庭に埋めたいんだということがわかってきた。そんなことを考えていると、私は何も言っていないのに、父親がどれくらいの深さ掘ったら埋めれるかな、と言い出した。

「1mくらいかな?」
「1mなら簡単に掘れるな」

結局埋めるには至らないが、そんなやりとりで落ち着いたのか夜には施設で焼いてもらうことに同意していた。

私も埋められたいのかもしれないが、よくわからない。親が死んで、もし埋めれるなら埋めるほうを選ぶように思う。少なくとも、火葬場であのスイッチを押す瞬間というのは苦手で、車で業者の人が犬を引き取りにきてくれて、その車が犬を乗せて走り去った瞬間というのは同じようなどうしようもなさを感じた。まだ土をかける時間の方が受け入れやすい。

今のところ、焼かれるより埋められたいかな。
そんなこと可能なのかもよく知らないけれど。