4月のはじめに東山の和室に行った。
いつも誰かと行っていた和室は誰もいないといつもと様相が違った。
その時の感じをちょっとでも残したくて、
再びけんちゃんの「セルフミニカウンセリング」のやり方を参考に
話したことを録音し文章にした。
なにもないところにいくと、
その時の自分というのがいなくなって、
普段の自分を他人として客観視してるような気がしてきた。
*******
和室にひとりで行くのは初めてで、
その日は集まりがあって行こうと思ってたけど、その日に急になくなって。
なんか行きたかったら行くことにした。
夕方家を出て、多分お腹が空くだろうなと思ったから晩御飯を買って部屋に付いた。
六畳間には、なにもなくて。
なにもないのにまず端っこの方にリュックサックを置いて、
ほんでちょっと向こうの方に脱いだ革ジャンとマフラーを置いて、
ほんで座って晩御飯を食べ始める。
晩御飯を食べ終わったら本を読み始めて、
でもなんかそんなに読みやすいわけじゃなくて
本を読むのをしばらくしてやめて。
絵を描こうかなと思ってたからスケッチブックを持ってて、
結局、机とかないし家で書いたほうが描きやすいなと思ったら描けなくなって、
目をつむってぼーっとしてたら、
ぼーっとというかなんかすごい重圧感があって
「おーーなにもできない」という感じが全身にくる。
「なにもできないなーっ」ていう感じ。
すごくこの部屋は、
何かをすることに適さない。
考え事することと、人と一緒にいるということ以外は。
「道具を持った途端、消えてしまうものがある」という感じ。
消えてしまうのがある。
だからうちはいろんなものを普段作っているということがよくわかって
えーっと道具を使って作っているということがよくわかる感じがして。
ほんとにぎゅーっとこういつもとなにかが反転しているかんじがした
なんか押しつぶされそうな感じがして目をあけていられなくなって
まぶしいということもないけど
なにもできない考えること以外は。
人もいないから。
なんかそれを味わっていて。
いつもはこう道具があるからリュックができるとということを味わっていて。
キッチンがあるから料理が作れるということを味わっていて。
パソコンがあるから文章がかけるということを味わっていて。
普段の生活はそういうものが全部あるというのが、
ぞわーっと見えてくる感じで。
でもここは全部というか中途半端な、中途半端なというかなくて。
中途半端と言ってもいいのはま若干持ち込むことはできて。
スケッチブックを持ってきたからそこは描きやすいわけではなくて、
むしろこうスケッチブックを持っていく場所を間違えた?
スケッチブックを持ってきてもここにはそぐわないということがわかって
なんかスケッチブックで絵を描きたいのは
机があるところだなと思って。
その一つのものに関して自分が求めているものが見えてくる感じで
スケッチブックと鉛筆と消しゴムしか持ってなくて。
まず、机が足りないと思って、
ああ鉛筆削りも持ってないと思って、
消しゴムで消したらカスがでるけどゴミ箱も持ってないと思って。
普段はそれ全部に囲まれているから
「ない」と思ってなかったものだった。
全部用意していた。
本を読んでいたときも
いつもよりこう適切な感じがしなくて。
机やっぱり欲しいし、
座布団あったらもっといいし、
まあそれくらいかな。
言葉の意味も家だったら調べるかもね、
くらいの感じで
それは電車とかで読んでたら調べないから
今付け足しで言ってる感じ。
そこでは自分がなにもできない。
自分がなにを道具によって
できるようにしてるのかがちょっとわかった。
なにもできないから、基本的には。
あそこにいくと自分自身としゃべるか
そこにいる人としゃべる。
その時の自分のできなさというのをうちは
道具で考えた。
なんかその道具によって何かをつくる喜び
喜びというか道具によって何かを作るということに
自分が寄って立っているということが見えてきた。
家に帰ったら机に向かって椅子に座って
絵を描きたいなと思ってそして描いた。
いつも誰かと行っていた和室は誰もいないといつもと様相が違った。
その時の感じをちょっとでも残したくて、
再びけんちゃんの「セルフミニカウンセリング」のやり方を参考に
話したことを録音し文章にした。
なにもないところにいくと、
その時の自分というのがいなくなって、
普段の自分を他人として客観視してるような気がしてきた。
*******
和室にひとりで行くのは初めてで、
その日は集まりがあって行こうと思ってたけど、その日に急になくなって。
なんか行きたかったら行くことにした。
夕方家を出て、多分お腹が空くだろうなと思ったから晩御飯を買って部屋に付いた。
六畳間には、なにもなくて。
なにもないのにまず端っこの方にリュックサックを置いて、
ほんでちょっと向こうの方に脱いだ革ジャンとマフラーを置いて、
ほんで座って晩御飯を食べ始める。
なにもないのにまず端っこの方にリュックサックを置いて、 |
晩御飯を食べ終わったら本を読み始めて、
でもなんかそんなに読みやすいわけじゃなくて
本を読むのをしばらくしてやめて。
絵を描こうかなと思ってたからスケッチブックを持ってて、
結局、机とかないし家で書いたほうが描きやすいなと思ったら描けなくなって、
目をつむってぼーっとしてたら、
ぼーっとというかなんかすごい重圧感があって
「おーーなにもできない」という感じが全身にくる。
「なにもできないなーっ」ていう感じ。
「おーーなにもできない」という感じが全身にくる。 |
何かをすることに適さない。
考え事することと、人と一緒にいるということ以外は。
「道具を持った途端、消えてしまうものがある」という感じ。
消えてしまうのがある。
だからうちはいろんなものを普段作っているということがよくわかって
えーっと道具を使って作っているということがよくわかる感じがして。
ほんとにぎゅーっとこういつもとなにかが反転しているかんじがした
なんか押しつぶされそうな感じがして目をあけていられなくなって
まぶしいということもないけど
なにもできない考えること以外は。
人もいないから。
なんかそれを味わっていて。
いつもはこう道具があるからリュックができるとということを味わっていて。
キッチンがあるから料理が作れるということを味わっていて。
パソコンがあるから文章がかけるということを味わっていて。
普段の生活はそういうものが全部あるというのが、
ぞわーっと見えてくる感じで。
でもここは全部というか中途半端な、中途半端なというかなくて。
中途半端と言ってもいいのはま若干持ち込むことはできて。
スケッチブックを持ってきたからそこは描きやすいわけではなくて、
むしろこうスケッチブックを持っていく場所を間違えた?
スケッチブックを持ってきてもここにはそぐわないということがわかって
なんかスケッチブックで絵を描きたいのは
机があるところだなと思って。
スケッチブックを持っていく場所を間違えた? |
スケッチブックと鉛筆と消しゴムしか持ってなくて。
まず、机が足りないと思って、
ああ鉛筆削りも持ってないと思って、
消しゴムで消したらカスがでるけどゴミ箱も持ってないと思って。
普段はそれ全部に囲まれているから
「ない」と思ってなかったものだった。
全部用意していた。
本を読んでいたときも
いつもよりこう適切な感じがしなくて。
机やっぱり欲しいし、
座布団あったらもっといいし、
まあそれくらいかな。
言葉の意味も家だったら調べるかもね、
くらいの感じで
それは電車とかで読んでたら調べないから
今付け足しで言ってる感じ。
そこでは自分がなにもできない。
自分がなにを道具によって
できるようにしてるのかがちょっとわかった。
なにもできないから、基本的には。
あそこにいくと自分自身としゃべるか
そこにいる人としゃべる。
その時の自分のできなさというのをうちは
道具で考えた。
なんかその道具によって何かをつくる喜び
喜びというか道具によって何かを作るということに
自分が寄って立っているということが見えてきた。
家に帰ったら机に向かって椅子に座って
絵を描きたいなと思ってそして描いた。
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