お金を払って無縁の場に行く。非日常的のルールと日常のルール。

2015年3月1日日曜日

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800円食会の会場。

非日常的な場のよさをどこか肯定的に語れないところがあって、それは生活の大部分を締める日常のよさを貶めるように感じていたからかもしれない。

でも、2泊3日の円坐に行くことを決めたらそれにすごくワクワクした。これは明らかに非日常的な場だと思う。そして、このワクワクの「理由はわからない」と書いた

800円持ち寄り食会で納豆を買った。トップバリュの3個パック。安くてたくさん入っているやつ。納豆自体は好きで、納豆という選択に問題はなかった。だけど、持ち寄り食会というその場限りの食事会で、3個パックを買う意味はなかったし、お金もあまってるんだからもっと高い納豆も変えたのに何故そうしなかったのか。

普段の生活で安売り3個パックは妥当な選択。次の日も食べれるし、安いのを買うのは家計のバランスを考えてのことだ。

でも、持ち寄り食会に次の日はない。800円が掛け金というか参加費のようなものだから参加すると決めてしまった以上、原理的には安いからといって家計には関係ない(その日は残ったお金は自分の財布に入れなおしてしまった)。次の日もなければ、家計もないそんな状況で何を買うのかを厳密に考えるのが、持ち寄り食会の非日常的な楽しさ。

円坐にいる時間は、仕事もないし、家事もないし、猫もいないし、明日もない。あるのはその場に集った人、その場所そのもの。そんな場で自分が何を言いたいと思うのか、それを考えるとワクワクする。それは、今日は仕事が無いと仮定して自分が何を考えるのが想像するというのとは訳が違って、その状況に一旦は入らないとやっぱりわからない。

持ち寄り食会で自分の縛られているものがよくわかってくるように、円坐もきっと何度も行くとわかってくるだろうと思う。

非日常的な場と日常の場では縛られているルールが違う。違うルールで自分が何をするのか見てみたい。そして、知らない間に従っている日常のルールを知るのも楽しい。