「ただ、食事をする」ことは簡単に消えてしまう。

2015年3月20日金曜日

食べ物

ある日の夕食。

ぱーちゃんのこの記事、
『「ただ、とにかく食事をする」ということが嬉しい』
食事を「触り直し」ている感じが面白い。

この文章はこう結ばれている。
「おいしいおいしい」と言って、ただ、食べる。お腹が満たされる。
最近、「食事をする」とはこういうことだな、と感じ始めている。
ぱーちゃんが書いているように最近「食事」は
とても実態がある確かなものだった。
食べることに集中して「おいしいおいしい」と言って食べ、
食べ終わった後には満腹感とともに「疲れた」と声が出る。

今日の昼食。
考え事をしながら食べていた。
手は動かしながら、気がかりなことが頭にあった。

気づいたらお皿の上のパスタがほとんどなくなっていた。

びっくりした。
結構食べたのに、まだ味もわからない。

「食事をしたい」と思い、パスタを見た。味わい直した。
「おいしい」と声が出た。
ほっとする。

ただ食事をするということはこんなに儚なったのかと思う。

余裕の無さ、ラジオの音、猫の声。
ちょっとしたことで食べることに集中できなくなり、
「ただ、食事をする」ことは消えてなくなる。