発表という場をどう考えるのか。固定されたものを持っていくだけの場ではない。

2020年5月21日木曜日

まるネコ堂芸術祭

第0回、まるネコ芸術祭を5月2日、3日に終えて、振り返る間もなく制作に没頭してしまった。

落ち着いたら見ようと決めて保存しておいたzoomの録画をやっとみた。
慣れないことをやってコチコチになっている。
話そうと思っていたことは、とにかく大体話せたと思う。

考えたことは、真面目にちゃんと言っていこう、そういうふうに思ったことを思い出した。絵画に関してなにか言える土台が、できてきたのを感じたのを思い出した。20日ほどしか経っていないのに、もうそういう土台はあたりまえになってしまった。この20日は長かった。


自分自身がある程度クールダウンされてしまったので、自分の発表の動画をみても、発表や講演のおもしろさは、どうやって生まれるのだろうか、なんて考えてしまう。
いろいろ要素はあると思う、そもそも考えていることがおもしろくなければどうにもならないんだけど、近くにいる上手い人のことは気にかけて見ている。

芸術祭2日目、「芸術は不要不急なのだろうか」というタイトルで発表した大谷隆の話は面白い。この日に限ったことではない。最近はいつものようにおもしろい。おすすめのレベルに突入している。

(テキスト化されたものはこちらに。statement#0「芸術は不要不急なのだろうか」

この日の発表を聞いて思ったことは、「演劇やドラマのようだ」ということだ。

発表を聞いていると、彼がまさに今考えているというふうな口調でしゃべるし、もちろん言い回しだけでなくどうなるかわからない、万一話がころんだらえらいことになるって焦りだってプンプンしている。一応、相当にがんばっているんだけど、この男、いつ崖から落ちてもおかしくない。なんとかなってくれと応援までしたくなる。

で、でもよくよく考えてみても、ほんとうに今考えているわけはない。それ以前に、ある程度のところまで、結論と言っていいようなところまで行っている。絶対に。それでもってでもしゃべるときは、結論を知らないかのようなところから始める。

ドラマを見てると、登場人物は未来のことはもちろん知らない風で演技している。
でも、役者は台本を読んでいるので絶対に知っている。読んでなきゃおかしい。

隆に、そう感想を言うと、「役者は台本を覚えて全部忘れるらしい」とのこと。

更に、彼自身は発表で忘れた感じで話して悪くて前に考えたとこまでは行こうとするらしい。でもこの発表で話すということでもっと前に考えをすすめられればおもしろいとも考えているらしい。

大分前に聞いたことなので、うまく書けているか非常に不安だけど続ける。

だから、発表の最中に、「話しながら今考えている」というのも実は含まれている。
そんなふうに発表をやったら、いくら入念にリハーサルしてきたとしてもやっぱり危ういし、臨場感を伴うだろう。

どれくらい正確に隆の言ったことが聞けたかはおいといても、発表というもののイメージは随分変わった。自分が持っていたのは石を作って、そういう固定されたものを見せるようなイメージだった。発表の場をも考える場の一部として考えることができる。うまく行けば前に進めさえすることも起こりうるところだ。

参考になる。次はもうちょっとなにかできるかもしれない。

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〇【定期開催】デッサン会
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○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
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※満席になりました。以後キャンセル待ちで受付けます。

2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。