statement#0「芸術は不要不急なのだろうか」を読んだ。

2020年5月16日土曜日

まるネコ堂芸術祭

このところ忙しくしていて第0回、まるネコ堂芸術祭の大谷隆の発表のテキスト記事statement#0「芸術は不要不急なのだろうか」をやっと今読んだ。

忙しくしていたのはある賞に出そうと作品を制作していたからで、作品は一応できたものの撮影、作品解説やその他テキスト類の準備がまだ残っている。あと数日しか無い。それでも、久々に絵を描かない夜は少し気分が違う。

文章を書こうとしているときに、statement#0を読むかは少し迷った。
影響を受けて、書きづらくなるんではないかと迷ったけれど、そうなったらそうなったで仕方ないと読んでしまった。どうなるかは書き始めないとわからないけど、悪いことが起こるとは思えない。

「芸術は不要不急なのだろうか」は、まるネコ堂芸術祭で唯一批評的な発表だった。
批評は重要なことだと思う。作品を作ることと、批評との優劣を言いたいわけではない(批評も作品だという側面ももちろんあるけど、とりあえずそれはおいておくとして)。ただ、現在、日本において批評に力がないという意味では、批評の重要性は強く言っていきたいとは思う。

以下、気になったところ。
ただ、だからといって、そういう事例をもって、災害だったり、「カタストロフ」、異常事態、非常時、緊急事態において、芸術は意味がある、役割があると言い切ってしまうのは、僕はちょっと自分の首を締める気がしています。そういうことももちろんあったけれど、やっぱり、総合的な意味において厳しい。芸術が置かれている立場は普通に考えてやっぱり厳しいと思います。

だからこそ僕自身がこの芸術祭を実際に、こういう形でやるにしても、非常に苦しかった。色々考えたし、困りました。今、本当にこんなことをやっていていいのだろうかということを考えました。そのことの意味は正面に捉えないといけない。良い面もあるんだからといって、そっちに行ってしまうとどんどん狭くなっていってしまう。聖域(サンクチュアリ)を作って、自分でそちらへ行って、やがて保護される対象になって、滅んでいく、そういうイメージが見えるので、やはり違う、と思います。

災害時に芸術が役割を担ったという事例によって、災害時に芸術を自分がやっていく理由になるかというとそうはならない。そのことは自分でも気になり続けていた。わたしが思ったのは事例は両側にある以上、どちらのスタンスをとるにしても強弁にしかならないだろうというところだった。過去の事例にじぶんは頼ることができない、自分で考えるしかないという考えをとってきた。

しかし、「やがて保護される対象になって、滅んでいく」というのは恐ろしいイメージだ。過去の事例は、他人のようなものだ。外からの肯定を求めることで確かにこのイメージの方へ進んでしまう可能性がある。

で、ちょっと話は飛んだようになるかもしれないけど、これを読んだところで芸術をやる人は特段肯定されも、否定されもしないだろうと思う。そもそも、Yes/Noだけの答えを出す気がないのは冒頭ですぐにわかる。ただただ、日々「わたしがやっていることはなんなんだろか」という場所にわずかばかりの光があたる。あたってみたらなんだかぬかるんだ場所にいたことがわかる。そりゃ、簡単には進めないわけだ。いわゆる作品はまだ見えないけど、そこにいるそのこと事態も実は芸術につながるのではないか、と彼は言っているように思う。あまり意識がいかなかった、作品以前にある「日々自分の前提を問い続けているぬかるんだ場所」がよく見えるようになる。そこで自分がなにかやること、考えること自体が意識化されていくように思う。

ここまで話をしてたどり着いた芸術というのは、最初に見た美術館で展示されてる芸術とはちょっと違ったイメージをもっています。正確に言うと美術館に展示されてる芸術は、ものすごく長いプロセスを経た、最後の、もう作家の手から離れた作品が展示されているわけです。そういった「美術館の作品がすなわち芸術である」とする視点は、乾いた場所に居る(例えば鑑賞者の)視点としては成立しますが、作家やピアニスト、画家が、作品を生み出そうと日々自分の前提を問い続けているぬかるんだ場所の視点が抜け落ちています。

彼もまた前提を問い直したのだと思う。芸術というものの前提。美術館に展示された芸術という前提から、今、作品をうみだそうとしている人々の場所まで。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ■ 大谷美緒の催し&お知らせ ■
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/01/2020_28.html
※満席になりました。以後キャンセル待ちで受付けます。

2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。