絵画のトーンという土台のことを真面目に考えていく。

2020年5月25日月曜日

絵画

絵の具にはそのものが持っている特性がもちろんある。
絵の具そのものが、美しくみえる画面への置き方がある。

例えば、アクリル絵の具を使うとき、アクリル絵の具が持ちうる独特の美しさがある。それは、ひとつではないし、自分で見つけていくものだと思う。けれど、昨品をつくるときに「こう描こう」とイメージを決めてしまうと、そのイメージへと絵の具を従属させて、絵の具そのもので楽しんで遊ぶことをちょっとおろそかにしてしまうところがあったなと思う。

例えば、先日描いていてこんなカスレができた。


ピンクと黄色。最終的には、こんなカスレなくパッツリ塗り分けようと思っていた。塗り始めにカスレることは予測していた。でもカスレを実際に見てちょっとなにか気になった。

ここでゲルハルト・リヒターのアブストラクト・ペインティングシリーズを思い出す(例えばこんな作品がある)。そして、はっとする。

リヒターがアブストラクト・ペインティングで描いているのは、絵の具の美しさだ。ただただ、油絵の具が美しくある瞬間を描いている。わたしが、何かイメージ通りのものを描こうとしようとするがあまりに素通りしかけた、でもそこに確かにある絵の具の美しさを彼は愛でているようだった。絵のタイトルも納得がいった。アブストラクト・ペインティングは、単に何を描いているかわからない絵でもちろんない。少し大雑把な表現だが、油絵の具の持つ美しい特性を抽象した(選んで見せた)ものだ。

絵の具にはその美しさが生きる使い方があるということに気づいた。けれど、わたしは、結局予定通り塗り込めた。計画段階でまったくそういうことを考えなかったわけでもなかったと思うけれど、ここまで気づいてしまうと、もっとこの絵にそぐう絵の具の使い方があるかもしれない、と思わないでもなかった。かなり計画を進めた絵画をここから大転換していくことができなかった。


それでも、絵の具には、ある画材には、そのものの美しさがあるということに気づいたことは嬉しいことだった。絵の具の力はなにを描くかということと関係しながらも、従属するものではない。美しさというのも少しほんとうのところは狭い。絵の具の使い方によって、かもし出す雰囲気があるということだと思う。

その雰囲気と描きたい対象との間に絵が生まれるのではないか。その雰囲気と描きたい対象がうまくマッチするということが結構重要なことなんではないかと思う。


このことを考えていて、更に思い出していたのが「言語にとって美とはなにか」(吉本隆明著)にかかれていた韻律という概念だった。該当箇所を引用する。

言語の韻律は、指示表出以前の指示表出をはらんでいる。
(略)わたしたちのかんがえるかぎりの韻律は、言語の意味とかかわりをもたない。それなのに詩歌のように、指示機能がそれによってつよめらるのはそのためなのだ。リズムは言語の意味とじかにかかわりをもたないのに、指示が抽出された共通性だと考えられるのは、言語が基底のほうに非言語時代の感覚的母斑をもっているからなのだ。

なかなかうまく説明するのが難しいと思っているけれど、絵の具を画面にのせるその感じ自体(例えば、カスレ、つるつる、したたり)、絵画のトーンと言ってもいいかもしれない、が韻律のようなものではないかと思った。

絵画のトーンはそれ自体が何か意味のあるものを指示することはないけれど、絵を描くことの中で、自分の意図と組み合わさったときにはその意図を強く伝えらる可能性があるものだ。

なんだかまたまた当たり前のことを言っている気がするけど、何が描きたいかというのはもちろん相当に重要だけど、同時に絵画のトーンを真面目に考えていくことで描ける絵画がきっとあると思う。



「言語にとって美とはなにか」は言語論だけど、なぜか読んでいると結構な割合で絵画のことを理解していくことにつながっていく。しばらく読む気はなかったんだけど、またちょっと気になり始めた。


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5月26日開催より、会場での参加も受付けます。

○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
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※満席になりました。以後キャンセル待ちで受付けます。

○12月15日〜12月21日:言葉の表出、冬合宿2020
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2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。