西洋美術のルールのことを文法という比喩で考える。

2020年4月11日土曜日

絵画

どうして西洋美術が好きになってしまったんだろうと度々考える。

絵画というのはある生きている人の残骸だと考えときに、西洋人の考え事がすきなんだろうなと思った。絵画として現れた西洋人の考え事だ。

西洋絵画が西洋人の考え事を表す一側面だと思うと、わたしが旧約聖書新約聖書コーランとゼミで本を読み進めて来たのも、美術への関心であり、彼らの考え事への関心であると理解できる。また、哲学書にそれなりに興味があるのも理解できる。

山本明日香のレクチャーコンサートに足繁く通っているのも、西洋人の考え事への関心の広がりだと思える。

絵画という形で西洋人の考え事のフィールドでなにかしたいと思っている。

こう考えてくるとよくわかる。なぜ村上隆が世界的な現代美術のフィールドでやっていくにはそのルールを知らないといけないということが。無茶苦茶にやるのではなく、ルールを知りながら絵を描くこと。

美術というフィールドにまでなっているのだから、そこには連綿とした考え事の歴史がある。歴史という前提があるから、なにか新しいことをした作品が出たときに面白い、笑える、すごいと思える。歴史、前提や常識があるから、その歴史に食い込んだり、前提を疑ってみたり、常識を覆していったり、ということも楽しくなる。

現代美術のフィールドでなにかやって相手をしてもらおうと思えば、基本的なことはしらなければならない。しらないでやたらめったとやっていて、もしかしたら最初は面白ろがられるかもしれないけど、きっと「こいつは言葉が通じない」と思われてしまう。最低限の言葉を話そうとしないのに相手にしてもらうのは相当難しい。

そういうことをちゃんとやってきてきっと村上隆は世界で通用するアーティストになった。
村上隆は話がわかっている。そして、おもしろい!と。
藤田嗣治も多分そうだ。西洋人を理解して、狙って描いて通用させた。

ルールというのは本当に言語の文法くらいに考えたらいいんではないかと思っている。
基本的なことは知っておいたほうがいい、とにかくそうすれば言葉が通じる。
でもイレギュラーもいろいろある。これは動詞の過去形の不規則変化みたいな、不規則だけど文法書には載ってますよってレベルじゃなくて、文法書には載ってないけど実は通じる書き方とか、話し方があるというレベルのはなし。

みんなそういう書き方はだめだと思ってるかもしれないけど、こういうふうな書き方をすればすごくかっこいいでしょ、みたいなことをやってみるとか。

そういうことをやれば「面白い、笑える、すごい!」みたいに思われるんだと思う。
そういうのが通用してしまえば、それがまた新しいルールに、前提に、常識になっていく。


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〇【定期開催】デッサン会
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○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
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2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。