緊急事態宣言について考えている。

2020年4月5日日曜日

生きていくこと

緊急事態宣言については、その言葉を聞いてから考えざるをえなかった。最初は、ただただそんな生活が圧迫されるかもしれないような宣言が出されたら嫌だという反射的な気分があった。

今は、結論から言ってしまうと出してほしくはない。

最初に言っておくとそれは医療崩壊や患者の増加を容認しているわけでは全くない。医師会が緊急事態宣言を出したほうがいいのではないかということを会見しているのも知っている。医療従事者からが緊急事態宣言を求める声があがるのは、理解できる。それだけ医療の現場は逼迫しているのだろう。

新型コロナウイルスの状況が悪くなるにつけて、緊急事態宣言は出したほうがいいのではないかと思いかけることはなくはなかった。医師会の会見のときなどは、かなりそういうふうに思いかけた。

出してほしくはないというのは、自分たちでできることがある範囲においてそれぞれがやれることをやり、なんとかこの危機を乗り越えられるならその方がどれだけよいかと思うからだ。

政府は、すでに個人でできる対策の指針を示している。これをもとに日々できることは考えられるはず。どうやって仕事をやっていくか。生活をどうしていくか。今、やらなければいけないことや、先延ばしにすべきこと。

政府にさらに指示や要請をされるまでもなく、自分たちで考えて、なにか事態の急速な悪化を抑えられるようなことをやっていくことができるなら、それに越したことはないと思う。わたしは今は自分ができることを考えてやっていきたいと思う。

「やる」、「やる」となんだか積極的な言葉を並べていると、自粛という最近よく聞く言葉とは随分イメージが違うなとおもったけれど、改めて自粛を調べてみると、

自分から進んで自分の言動を慎むこと。(weblio辞書より)
とあった。やっぱり自分でやることだ。

最近ずっと考えていたけれど、よっぽど孤立して生きていない限り、だれもが社会の一員だと思う。そういう自覚が自分にもあまりなかったのだけど、自分がすることは社会にひびいていく。良い影響としても、悪い影響としても。なるべくは、よいことをしたい。


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 ■ 大谷美緒の催し&お知らせ ■
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○5月2日、3日:第0回 まるネコ堂芸術祭

○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
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2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。