緊急事態宣言が出ようとしている。

2020年4月7日火曜日

生きていくこと

住んでいる京都府は現状対象外だけど、他人事とは思えない。

この1週間ほどgoogle newsを見ていると、まだ出ないのか、なぜ日本は出せないのかという論調の記事が時折目に入ってきていた。

今日はこの記事を読んでいた。

日本の緊急事態宣言が遅すぎる理由、コロナ最前線の米医師が戦慄の提言

現場の声を聞くのはやっぱり怖い。
自分や家族や知人が、感染したらどうしよう。
その時に感染者数の増加により医療体制が崩壊していたらと考える。

医療関係者が、すぐにでも行える少しでも効果がある手を提案すること、そして、情報を提供することは当然のことだと思う。

それでも、自分としてはやはり出してほしくはないと思い続けている。この記事を読むと、こんなふうに思ってしまうのはおかしいのではないかと思いそうになるけれど、やはり出してほしくはない。出してはほしくないが現状として出さざるを得ないということに関しては今となってはそれを押しとどめるのはちょっと無理があるだろうと思う。でももしこれが出ないようにできていればもっとよかったのではないかということは覚えておきたいと思う。出してほしくはないが現状としてそれしかないということはありうる。

罰金付きの外出制限を出している国も多い。日本では緊急事態宣言がでても、箔のついた自粛要請が出るというところにとどまるので、外出に関しては実は実態としては大きく変わらない。精神的には十分変わると思う、事態の重要性はよくわかる。

罰金付きの外出制限の効果はおそらくあるのだろう。
でもそれがよいかと言われればよくはないのではないか、法律での規制は最後の手段だ。やっぱり自分でできることを考えていきたい。情報をもとに自分たちで考えて、行動できれば、法の規制は必要ないと思う。

例えば、これは新型コロナウイルスのことだけではない。
この冬はそもそもできるだけ電車に乗らないようにしてきた。特に1歳半の息子をつれての電車での外出は控えた。インフルエンザや風邪にできるだけかかりたくなかったからだ。息子はまだまだあたりをさわり手を口に入れる。家族のだれかの病気は避けたい。小さな子供がいる家の日常は破綻しやすい。インフルは避けたい。直接的にはそんなところが大きく、また保育園に行く息子が感染すると、保育園でうつしてくる可能性も大きい。そんなのは今から思えば要請なき自粛状態だったのかもしれない。

結果的にはそれでもインフルにかかってしまった。ほんとうに幸いではあるが保育園で広がることはなかった。家庭内感染はなんとか防げた。


日本の感染者数の伸び率は、中国、イタリア、アメリカなどに比べて低い
理由はよくわからない。今後研究などでるかもしれない、出れば知りたい。
でも、すでにこの感染症に関してなにかできてきたこともあるのではないかとは思ったりする。現状ではそれは楽観的過ぎるというか、もっと抑えねばならかなったと言われればそうだとも思うが、諸外国に比べて何かが功を奏してはいるのではないか。それがなんだったのかは気になっている。
それにもしかしたら今後の展開によっては緊急事態宣言はやはり遅かったという事態になってしまうかもしれない。今のところそれはわからない。


考えるということは時間のかかることだとつくづく思う。
考えるづけることは体力がいる。やはり、多少消耗してきた。
緊急事態に対して、自分の思うことを書くのは結構怖い。間違えがあるかもしれない。
それでも考えているほうがいいと思って、今は考え続けている。

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 ■ 大谷美緒の催し&お知らせ ■
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○5月2日、3日:第0回 まるネコ堂芸術祭

○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/01/2020_28.html

2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。