第0回、まるネコ堂芸術祭によせて。大谷隆のテーマ「芸術は不要不急なのだろうか」。

2020年4月26日日曜日

まるネコ堂芸術祭

第0回、まるネコ堂芸術祭まで1週間をきった。

これまで自分の制作に頭がいっぱいだった。今もほぼいっぱいだけど一応の方針をたてられるところまできって少しだけ息継ぎをしている。

そんなときに大谷隆のテーマが気になった。

芸術は不要不急なのだろうか


これはなかなかのテーマだ。
こんな問ならわたしでも答えうるように思う。
「芸術はわたしにとって不要不急なのか」
「わたしにとって不要不急ではない、なぜならわたしは芸術をしようとしているからだ、なぜなら過去のこんな緊急時の作品が人々を救っているからだ」

そういうふうには十分答えられる。
いやほんとのところは「芸術は(人類にとって、世界にとって)不要不急ではない」と、ほんとのところ思ってるんだけど、これをどう説明したらいいのかというのはとても難しい。

事例をあげ可否を問うのではなく、面をつくるような、そんな言葉はどんな言葉なのか。

結局のところ日々やってきたことしか、緊急時の自分を救わない。わたしにはこの問に答えて、面をつくる力が今のところないし、今は制作でいっぱいいっぱいになってしまっている。ひとつの事例を作れればと必死になっている。ただ、こういう問は重要な問だと思うようになった。

わたしたちは真剣に作品を作る。そのことに、あるいはその前から、その状況を言葉にしようとする人たちがいる。それが両方あることによって、芸術が生きる世界が誕生するように思う。

ここまで書いてきてよくわかるけれど、このことは大谷隆が【673】批評の場所。表現に直交する表現。で書いていた。
作品が作者にとって自己から正面方向へと伸びる方向性を持つのに対して、批評は横切る。優れた批評は直交する。そうして、作品と批評とによって新たな平面が構成される。この平面は新たに出現した表現の場所となる。
非常時は力のなさがどんどん露呈する。後悔がないでもないが、切り替えて力をつけていけばいい。作品を作る自分の限界も、言葉にできないと思う力のなさも。ただし、時間がかかる。非常時の間になんとかできることは少ない。

大谷隆の言葉にする力はよく知っている、いったい当日何を言うのか、とても気になる。何を言うのか、少し怖い。

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〇【定期開催】デッサン会
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○5月2日、3日:第0回 まるネコ堂芸術祭

○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
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2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。